dokuhakinotsubo’s blog

毎日の愚痴日記

まさかうちの子が

今思えば、息子には中学受験塾がぴたりと合ってしまったのだろう。授業に参加して言われた通りの家庭学習をしていけば面白いように成績があがり、ずっと上のクラスだった。だから勘違いしたんだ。


6年の夏頃から雲行きが怪しくなり、だんだん
とついていけなったけど、もう志望校も決めて今さら引き返せないと、テキストをやり込む量でカバーをし、過去問も周回してなんとか志望校に合格できた。

ところが中学に入るとマニュアル的な勉強方法では太刀打ちできない。
塾では宿題に出た演習さえこなせば点数がとれていたのに、それだけでは定期テストには足りない。


授業を聞いて、自分で考え、どのように別を計画してどう理解して身につけていくか。
それまでは塾の敷いたレールに乗り、親のサポートを借りていたのだから、勉強方法すらわからない。

 

でも、それに気がついて自分で試行錯誤、創意工夫をしていけばなんら問題もなかった。でも、息子は完全にやる気を失い、勉強に向き合うことができなってしまった。勉強に対して強烈な拒否反応が出ていて、親はもちろん自分でももうどうしようもない。

 

スポーツ選手が大会に向けて一生懸命練習するように、志望校合格に向けて一生懸命頑張る。何も間違えてないと思っていた。。熱望校に合格したのに、まさか高校進学をしない選択を考えるなんて、思いもしなかった。

気難しい子

息子はとにかく育てづらい子。2歳違いで娘が産まれた時に、普通の育児ってなんて楽なんだろうと思った。

 

娘がおとなしくて手がかからなかったわけではない。普通に後追いやイヤイヤ期もあったし、しょっちゅう病気したり熱も良く出していた。泣いたり怒ったりもした。でも、笑ったりご機嫌な時間も多くて、娘が生まれてからやっと、自分の育児に自信がもてた。

 

それに引き換え息子は、ほんのちょっとしたことでも、何一つうまくいかない。

 

雨が降ればレインコートを着ることも、

ベビーカーにレインカバーをかぶせることも、

お気に入りの帽子がサイズアウトして、新しい帽子をかぶることも、

寒くなって上着を着ることも、

なにひとつできなかった。

泣き叫んで暴れてどうしようもなかった。

 

でもなぜか外ではおとなしい。

いつしかお店で試着して、タグをとってもらい、そのまま着せて帰るようになった。一度着たものはなぜか大丈夫なのだ。

 

身につけるものだけでこれだけこだわるのだから、食べ物、出かける場所、遊ぶもの、全てにおいて必ず何かしら地雷があり、暴れて泣き叫ぶか、硬直して動けないか、毎日、毎時間、毎分、毎秒が緊張の連続だった。

 

手がつけられないほどの癇癪になる前に、息子が嫌がると想定される全てのことを取り除かなければならなかった。

 

ある程度こちらの話がわかるようになると、躾として言い聞かせる、諭すことも大切だったが、全く響かなかった。

 

息子の口から心の底からの素直なごめんなさいを、一度も聞いたことがない。

今のいままで。

恐怖

息子は生後すぐから大変な子だった。

 

とにかく起きている間にご機嫌な時間がなく、ずっとずっと泣いてた。

 

抱っこと授乳で1日がすぎて行く。

 

次第に私は追い詰められて、

寝ている間にわずかな物音でおきることがないように、宅配も無視、電話も無視、しまいにトイレの水すら流さないようになった。

 

火がついたように泣く息子が恐怖でしかなく、

毎日毎日、つらくてつらくて、、。

 

誰にも助けを求められなかった。

つらすぎて、何をする気力もわかなかった。

自分勝手すぎる夫も心の中から追い出した。

心配から過干渉な実母や無神経な姉にも追い詰められ、親切という正義を勝手にふりかざし、恩着せがましくそれでいて意地悪ばかりする義母も憎らしくてたまらない。

 

誰にも頼れなかった。

孤独だった。

息子を抱えたまま海に飛び込みたい。

マンションから飛び降りたい。

このまま消えてなくなりたい。

 

そんな気持ちに構わずに

永遠に泣き続ける息子。

 

絶望という意味を息子を産んで知ったのだった。

ついに手放す

息子をついに手放すことにした。

 

たまりにたまった夏休みの宿題。全く手をつけないで、用事がなければ一日中ベッドに転がってスマホだけをしている。

 

何度も何度も声をかけ、

何度も訴えてみたけれど、

勉強に向かう姿勢はいっさいみられなかった。

 

もう、あきらめよう。

成人まで衣食住の世話だけして、あとは家から放り出そう。

 

このまま廃人のような生活をしていても、勉強が遅れて学校に行けなくなったとしても、もうわたしの人生には関係のないこと。

 

さよなら息子。

昨日から涙が止まらない。

さよなら。

 

大嫌いだったけど、愛してた。

でも、私も気持ちの整理をつける。

あなたを手放す。

黒い気持ち

あまりに黒い気持ちしかなくて、ここ数日落ち込んでいる。

 

息子に「あんたなんて産まなきゃよかった。」

って泣きながら言った。泣いて泣いて泣いて泣いて過呼吸になったけど、ひたすら息子には無視された。

 

何をしていてもいつも息子のことが頭からこびりついて離れない。衣食住も提供して、学校にもやっていて、最低限、親の義務は果たしてるんだから、もうそれで成人するまで放置して、成人したら追い出してやればいい。

 

何度も何度もそう考えるけど、そんなに簡単には割りきれない。

 

夫は仕事してお金さえ家にいれたら、それで親の責務はおしまいと思ってるんだから、私だって同じように衣食住の世話だけしてればそれでいいんじゃないかって、そう思う。そう思うのに割りきれない。

地球儀

まだ映画は観てないけど、地球儀を何度も聴いている。

とても懐かしい風景を思い出させるような歌。切なくて苦しくて涙が出てしまう。

 

私は小学校の夏休みを、自分の自宅で過ごした記憶がほとんどない。夏休みが始まるとすぐに田舎の祖父母の家に一人で飛行機に乗って行き、新学期が始まるまでずっといた。母は専業主婦だったし、姉は自宅にいたのに私だけ一人で田舎に行ってた。

 

田舎には従姉妹もいたし、祖父母も優しいし、楽しい思い出もたくさんある。当時は寂しいという気持ちはなかったくらい、祖父母に可愛がってもらったけど、親戚が集まると子どもながらに遠慮もあった。

 

でも、自分が親の立場になるとなぜあんなに毎年、長期休み(夏だけじゃなく春休み、冬休みも)のたびにまるまる祖父母の家に預かってもらったのだろう。母は都合よく子どもを押し付けて楽がしたかったのだろう。だって、毎日子供の面倒をみるの、大変だもの。

 

結婚した今でも、姉には立派な二世帯住宅を建ててあげて同居している。きょうだい差別ってあるよね。

 

でも、私は母と暮らしていた時、とにかく息が詰まりそうだったから、実家の居心地がわるくて嫌でたまらなかったから、このくらいの距離がちょうどよい。

まだ夏休み始まってないのに

もうどうすればいいかわからない。
どこから間違えたのかもわからない。
合格したことが間違いなのか合格するために勉強させたのが間違いなのか
受験したことが間違いなのか
もう、全ての始まりから間違えだらけで
何をどうすればいいかわからない。
いっそ産んだことが間違えなのか。
小さい頃から聞かん坊で
手を焼いて
毎日1日が終わるとホッとして
また朝が始まって息子と対峙することが苦痛で苦痛でたまらなかったことが
こんなに永遠に永遠に
続くとは思わなかった。
それでも生んだからには最低限、
なんとかまともに社会に出られるように
それこそ息子を最優先にして育ててきて、
自分はもちろんたくさん娘をも犠牲にしてきて、
なんであんなに頑張ってきたのに、
どうしてこんなに報われない?
何を間違えた?
産んだことを間違えた?
とにかくもうつらい。
顔もみたくない。
母親やめたい。
逃げたい。
全てを投げ捨てたい。
楽になりたい。
息子に全てを搾取され、
全てに裏切られ、
息子の暗い未来しか描けない。
いつまであの子の尻拭いをして
いつまであの子の心配をして
いつまであの子を疎ましく思い続けなきゃいけないのだろう。

 

今日も作った昼食にほとんど手をつけず大量に捨てた。
当たり前のように残した。
こちらの気持ちなんてまるで考えていない。
人の心があるのか。
どれだけ傷つき気持ちがえぐられることを想像することもできないのだろうか。
悪魔なのだろうか。
もう人の心を教えるのは無理なのだろうか。